□般若心経/ 2002.5.31 /蘿や

僕が般若心経に興味を持ったのは、父親が他界してからのことです。基本的に僕は無宗教ではありますが、宗教の勉強(?)は好きではありました。数学や哲学と同じ感覚ですね。また、文学や詩と同じく宗教というものを捕らえるとなかなか面白いものですよ。例えば、チベット密教の『死者の書』なんかは完全に美しい詩でもありますよね。宗教と聞くと、なんとなく如何わしいとか、怪しい、恐い、いろいろな感覚をもつ方もいるとは思いますが、そもそもなんでそういった感情がでるのでしょうか?一つの理由としては、それ自体のことを良く知らないということもあるかと思います。例えばUFOとか幽霊とか…。このへんもなんか如何わしい感じしますよね…。これは私達がそれらの存在(?)を良く知らない、分からない、なんとなく認めたく無いという感情からくるのではないでしょうか?恐怖イコール知らない世界観とは言い切れませんが、一つの要因であることは間違いないでしょう。なにを持って自分の世界観を崩されるのが恐ろしいのか??と自分に問いただすと…。ん〜良く分かりません…。でも必死に自分の価値観が当然のように他者と同じであることを心の隅で望み、その価値観に揺さぶりをかけられるようなことがあると拒絶し、自分という存在を保とうと努力しているのではないでしょうか?恐怖という感情は確かに存在します。これは生きているもの全てに共通の感覚かもしれませんね…。話しを元に戻します。そもそも般若心経とはそういった恐怖を持つ意味の無さを解きます。あのいかにも如何わしい読み方で、厳粛さや神聖さを醸し出されると、こちらも何となくひきますが(^^;)意味はとても美しい詩のようでもあります。
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摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中。無色 無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界 乃至無意識界。無無明亦 無無明尽。乃至無老死 亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩提薩。依般若波羅蜜多故。心無礙 無礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。三世諸仏。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若 波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。能除一切苦。真実不虚。故説般若波羅蜜多呪。即説呪日。羯諦 羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。般若心経。
-訳すとこんな感じです-
聖なる観音菩薩は、この世にあるすべてのものがどのようにして存在しているのかを知ろうと、観察と瞑想による深遠な智慧の完成の修行をして、ついにそれを極めました。そして、人間を構成する五つの要素である、身体、感覚、意識、意志、認識は、すべてみな『空(くう)』という本質を持っているという真理を見抜いたため、この世のすべての苦しみから解放されました。『空』とは、すべてのものは常に移り変わり、永遠に同じ状態では存在できないという真実と、すべてのものはお互いに関連しあいながら存在しており、他との関連性なくして存在できないという真実をあわせた、存在に関する真理です。観音菩薩は、この『空』の真理について、釈迦十大弟子の中で知恵第一といわれる舎利子(しゃりし)に説法されます。舎利子よ、この世に存在する形あるものはすべて、『空』という本質を持ち、また、『空』の原理に基いてこの世に存在しているのです。つまり、存在する事と『空』とは異質ではないのです。この世に存在するとは『空』であるという事であり、『空』だからこそ存在可能なわけなのです。この真理は、私たちの心の作用にもあてはまり、感覚も、意識も、意志も、認識も、すべて『空』という本質を持つのです。舎利子よ。この世において存在するすべてのものが『空』の現われた相(すがた)であり、『空』の特性は、生まれるものでも死ぬものでもなく、汚れたものでも清浄なものでもなく、減るものでも増えるものでもないのです。だから『空』という真理の立場から見れば、物質的現象もなく、感覚・意識・意志・認識という心の作用もなく、眼・耳・鼻・舌・体・心という感覚器官もなく、その感覚器官の対象である形・音・香り・味・感触・意識もなく、感覚器官の対象の領域も、見える形の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのです。さらには“無知”もなく、“無知”が消えることもないのです。そしてついには老いと死の苦しみもなく、老いと死の苦しみが消えることもないのです。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみをなくすことも、苦しみをなくす道もないのです。何一つ所有するものがないので、知ることもなく、得ることもないのです。悟りを求める人はこの真理を拠り所とするので、心に何のこだわりも持たずにいられます。心にこだわりがないから恐れるものは何もないのです。一切の相対的な囚われの妄想から遠く離れて、永遠の平和な境地に安住していられるのです。過去・現在・未来のすべての仏たちも、この智慧の完成によって、この上ない真実の悟りを得たのです。 それゆえに人は知るべきです。大いなる真言、明らかな真言、この上ない真言、比べるものがない真言は、一切の苦しみを取り除いてくれる、虚しくない真実なのだと。智慧の完成においてその真言は次のように説かれました。渡ろう、渡ろう、彼岸に渡ろう、すべてを越えて彼岸に渡ろう、そこにある無上の目覚めに幸あれ!
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ん〜美しいですね…。ここで細野晴臣のナンバーから詩のみをお届けします夢にいつか観たあのファンタジー♪フォエバー行き着くところ桟橋♪ここは住めば都の大都市♪明日も抜けられない島国♪桟橋からあの異国の船に飛び乗ってアディオス、エ〜ウェル♪見据える街の灯にキッスしてバイバイ、バイバイ、グッバイ♪蜃気楼ハライソ 溶けろリアリティー♪『細野晴臣 PARAISO』より


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