チキュウヤや渋谷マツキヨ横の野外イベントに影響され、 パーティーを楽しむ側ではなく、
楽しませる側になりたいという理由で 99年に代々木公園南門にてレイブ活動をはじめる。
当初は、mina、BATCHの2人のオーガナイズにより、小規模なパーティーを行っ ていた。
(ほとんど身内のプライベートパーティのようなもの)
BATCHは、HardHouse,Technoを取り混ぜたプレイをし、
パーティーの時間もお昼過ぎから朝や、真夜中をすぎることが多かった。
DJ MASATOの参入により、新しいCUBEへと生まれ変わりはじめる。 音もゴア・サイケデリックトランス中心へと変化していく。
夏は、OrbitalやVision questと重なることがあり 大きいパーティーの力を嫌でも感じさせられた。
その反面、7/30には南門でその時点までの最高人数700人の オーディエンスを集客。徐々に知名度が上がっていくようになり CUBEとしての色と形が固まり始めていった。
また、SEE THE SEAやGROUND HEADS SOUND、蛾といった 代々木の新しいレイブグループも増え、一日にいくつものグループが 同じ公園内でレイブをするという形が多くなってきた。
そのため騒音問題が起こり、警察の取締りがきつくなるなどの問題から ドクターを中心としたYFPOが結成された。
(スピーカーの向き、音量の調整、ゴミ分別回収等の決まり事を作り きれいな楽しい代々木公園レイブを続けていくことを目標とする。)
年末はBATCHがSEE THE SEAでプレイ。300人を超えるオーディエンスとカウントダウンを楽しみ最高の21世紀を迎えた。
SEE THE SEAのオーガナイザーであったJOEを引き込み、さらに革新する。
この年になって、クラブでのパーティーもはじめる様になった。
ゲストDJを招き、野外とは一味違うCUBEを演出し好評を得る。
代々木では、春風の後で行ったパーティーが大成功を収めファンを固めた。
4月、5月と代々木でのレイブは毎回500人を超え、 代々木レイブのメインとなりつつある。
5/20は、CUBEスタッフも驚く1500人が集まった。
スピーカーとぶ(泣)
アンプの出力数等の、機材に関しての知識が足りなかったせいで 購入したばかりのスピーカーを
良くとばし、最悪な形でパーティー終わらせざるを得ない事が多かった。
その度に、修理代を払うはめに・・・ 踊り足りないCUBEファンと車のスピーカーから
音を出して踊ったことも。 音量が大きいほどお客さんが喜ぶと思っていた時期。

レイヴの大敵は自然。
天気予報を注意していたにもかかわらず 突然雨が降り、
びしょぬれになりながら機材を移動。 特に梅雨時期は、予想もしない雨に悩まされた。
バスタオルと大きなビニールは必需品であることを学ぶ。
噴水前
寒い中、たくさんのお客さんに囲まれて暖かいパーティーとなった11/5。
噴水に月が写り、野外の良さを改めて実感した。
DJが寒くてうまく手が動かない中、CUBEの音に熱くなり
時間が経つにつれ上着を脱ぎだしていく人たちを見て嬉しくなった。
JUNO Lounge
小さめの箱でありながら、毎回150人を超えるお客さんが集まり暖かいパーティー で好評を得る。
ゲストDJはjokerのKURIや地球屋のSATOSHI、dp productsのdaisukeなど毎回さまざまなDJ達を迎え、
代々木では味わえな い箱ならではのCUBEの世界に引き込む。
セッティング等のスタッフは代々木で知り合ったKaori、sacchii、TOYOたちが手伝ってくれた。
また、フラ イヤーも彼らが好意で担当してくれている。